『「源氏物語」の色辞典』
『源氏物語』が書かれて千年になる今年、『源氏』がらみのさまざまな催しやら本の出版、特集など組まれているが、この本の出版ほど意義のあるものはないと思う。
吉岡さんは元編集者というより、染司よしおかの当主としてつとに有名で、私自身、工房に取材でお邪魔したこともあるが、平安時代の染色、色を彼ほど見事に再現できる人物はいない……といって私自身が平安時代の色がわかっている訳ではないけれど……と、確信している。
というのも物ごころついた頃から、一度でいいから本物の十二単を見てみたいと願って、素人ながらいろいろ本やら資料を見続けるうち、ひな人形であれ、数々の源氏絵と称される絵であれ、宮中の衣装でさえも、『源氏物語』が書かれた当時のものとはかなり違っているということがわかるようになり、残念に思っていた。だからこそ吉岡さんが監修された別冊『太陽』の『源氏物語の色』を見たときの興奮は忘れられない。
本書は、そんな吉岡さんの業績の集大成をなすもの。凡百の源氏評論なぞ読むより、この辞典が伝える、世界でも類を見ない、豊かでたおやかで繊細な、」さながら自然と寄り添うような美意識が織りなす世界を目の当たりにして欲しい。
『赤めだか』
このところ出版されている芸の世界を描いた本のなかでは出色のもの。書評を書いたので以下省略。
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』
タイムリーな本。六十年代のアメリカの中流知識人との交流から、鋭くアメリカ文化の本質に迫った名著、山崎正和の『このアメリカ』とはひと味違った、軽妙な筆致で金融破綻前夜のアメリカを活写している。
史上初のアフリカ系大統領の誕生に世界中がアメリカの“チェンジ”ぶりを固唾をのんで注目しているところだが、これを読むと事はそう簡単じゃないってことがよくわかる。
強欲資本主義のアメリカのこと。なんだかんだいったって日本に求めるのは従順とお金なんだってことがこれを読めば読むほどよくわかる。
アジアのリーダーシップを発揮して、アメリカから無視されないようにせねばならないなって評論家たちは言ってるけれど、無視されてお金をせびられないほうがいいんじゃないか……この本を読むとちょっぴりお利口さんになれる気がする。
『日本語と漢字文明』
表意文字の漢字から仮名を発明したことが、いかに日本文化にとって大きかったか……それは石川九楊の『ひらがなと日本人』でも論じられているが、本書は、それが台湾最後の日本語族として、中国語のみならず日本語でも執筆活動をしている著者自身の体験や実感をもとに論じられていて、より切実さがましているように思う。
加えて、私たちが漠然と考える“中国語”なるもののがいかに観念的に過ぎるか、いかに実態は複雑怪奇であるか、漢文というものが中国人にとっても難解でかつ政治的で、中国文化にとっては功罪相半ばするものかということがよくわかってくる。漢字、漢文という視点から見ただけでも、いかに中国が一国として成り立つことが難しいかがわかってくる。
北京五輪の人間をさながらデジタルのドットのごとく捉えた、人海戦術の粋を集めたようなあの開会式で誇らしげにディスプレイしてみせたあの漢字の持つ意味、そしてアジア諸国にもたらした意味までわかってくる。
と同時に、日本文化のすごさも。アメリカに対してだけでなく、中国に対しても、世界の国々に対しても、日本は(決して強圧的になるべきじゃないけれど)もっと自信を持っていいんじゃないか……国際語としての日本語の貢献度すら示唆する本書を読むうち、そんな思いまでもたげてくる。ちょっと元気になれる一冊でもある。
『モダンタイムス』
ネットの検索から不可解な事件が起こる……ミステリーとしてはありがちな設定だが、そのあとがちょっと違う。ジェットコースター的に邪悪な殺人が次々起こるとか、恐怖の連鎖が止まらなくなるとか、驚愕のラストが待っているとかいうのでもない。過去のある不幸な事件が関わっていたり、自殺する人間も出てきはするが、冷酷非道なサイコパスやら巨悪が登場するというのでもない。
けれども近未来(それはチャップリンが考えた“モダンタイムス”と深いところで通底する社会でもある)に設定したこの小説は、いまのネットのありようを落ち着いて考えさせるような含蓄に富んでいる。
ネットで世界とつながることのリスク、途方もない金を儲けたときのリスク……それに立ち向かう勇気が果たしてあるか。いやそもそも、そういうときに必要な勇気とは何なのか、考えさせられる作品だ。